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先生の感覚の方に共感を覚える、社会に抑圧された人間は多いはず。


ねるとんじゃないけど、だいどんでんがえしには血の気が引く思いでした。

今日は美味い酒で酔うかな。
久しく気分がいい。

幸せの価値観とか距離感ってのは数字的帰納法や確率論では計れないのね…

あたし、そんなことを思ったわ…

つって。

演劇万歳誾

しかし、今日は相棒尽くしのいい日であった(笑)


明日の風もいい風さな。

全然関係ないけど、グラコロは小麦粉オンリーでできてるんだってね。

インターネットラジオで知り合いの子が言うてはった。

俺もホワイトナイトで録音のYouTube落としかインターネットラジオ開局させてもろてやりたいなー。

元々構想はあったが急遽の仕事で立ち消えになった企画案。

簡単なインターネットラジオのやり方分かる方はぜひ教えて下さい。

先の話にはなるけども
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行く波と返す波。
凍える土壌は飢える土壌。
はぜる火の粉に散る火の粉。

ようやく底辺の底辺に立てた。
宙ぶらりんからの脱却。
あとは治すだけだ。

(笑)見ろ。海は広いと思わないかい?

一枚の木の葉に囚われる不毛さを知らなければならない。
森を見ながら山を見、大気を感じとりながら木の葉の一枚一枚を見る。

今まで芝居に対してしてきたことと同じじゃないか(笑)
師や先輩に叩き込まれてきたことを忘れていた。

視野がシャープになり過ぎていたと言わざるを得ない。
いつもの冷静さというか冷徹さが死んでいた。

すなわち、今日の俺は昨日の俺にあらず。
自分なりの底辺に回帰することでようやく昔の俺を取り戻した気がする。

人差し指を舐めて風の吹くまま気の向くまま。
あるいは岐路を前に棒を倒すか…

とある俳優も言っていたが、人生はどこか旅に似ている。
出会いと別れを繰り返して巡り会いまたたもとをわかつこともあり、それは普遍の出来事であり、それは恐れるものでもなく時にそれは愛すべき出来事かも知れない。

また共和制の合理性にうなずく。

小さな島に住みついていては広い海は航海できない。
大海のような心と志にメーンの理想を図面化する。

定石を辿る上で常識的経験を踏むことで非常識に踏み出せる。
それは俺の個人的な思考の置き方ではあるけど順路に従った順路を追うのは盲目に陥る怖さをはらんでいる。
今は療養のためいかんともアレだが、過去に捕らわれる無様は先の己を殺す。

過去は今のための改善のヒントでしかない。
気づいた瞬間、情報を得た瞬間が変化の瞬間。

二年前まで役者仲間に熱烈に息巻いてきたことをこの二年でなまくらになりズバっと忘れてしまっていた。

それは、自分に期待し他人に期待せずあくまで志が充分近い者らと共闘をするっつーこと。

共闘することで一つの目的を共に目指し互いの理を成す。
頼り合うのではなく共闘すること。

気付かせてくれたのは信奉する先輩と団の仲間、そして坂本龍馬の生き様だ(^-^)

坂本龍馬。
好きなんスわ。


全然関係ないけども、相棒は面白い。
相方がカイトくんになって右京さんのイメージがやや軽くなった印象で楽しいな(笑)

カ『それ、除霊しといてもらえません』
米『鑑識にそういうスキルはありません』

には、笑った(笑)
右京さん関係ないけど。
駆る。

尊ぶ我、信の誉に於、己は捨て人と知る。

良薬口に苦し。

我、導きて己と道と開。

真の身を知り井を仰ぎて、ただただ邁進せしもの也。

地の利、人の和、天の機、美、徳の粗末、此を尊ぶもの。

私を望まずつつましやかにそれとする。

身に起こらずは子の道に反す。

我、風聞に惑われることなく柱濁らば死に絶えたこととす。

エヘンエヘンと笑み高らかなるを尊ぶ。

戒に踊り律に奢るなかれ。

要はかなりリハビらなきゃってことねo(≧∀≦○+゜
0。

なんにもない。

完膚なきまでに0。

積み上げてきた思想、理論、これ全て0。

残ったのはおごり高ぶった心だけ。

0というか…

マイナスだ。

死人のように生きさらばえるか、バイトでもするか……

俺に帰る場所はない。

俺の覇気は完全に死んだ。

道がない。

終止符だ。

つまりそれは、こと終わりを示す。
一度手放したものは二度と修復は効かない。

百以上になることはできない。

変わらない思いだけ抱いて、、、

湖のほとり
普通に世俗の中で息をしていると利己的になりがちだ。

今日は太陽が出ているという。

まあ、だからなんだという話なんだが、太陽ってやつはそれだけで気分が持ち上がる。

日差しに当たって直に暖かさを感じればなおのこと。

雨ふりが好きとか晴れの日が好きなんて話がその辺で交わされたりするが、感度の話なんよね。

知識や先入観、過去の風景や経験と摺り合わせて感動を得るのが人間な訳で。

かといって、雨の日が好きな奴は悲しい過去があるな?とかいうのは安直だが。

あながち間違いでもないのが深層心理の面白いところ。

俺は……

よく笑った日が好きだな。

ここ二年近くないが
変化を繰り返すものが愛おしかったりあきらめられなかったり。

変化するから握り締めていても指の隙間から逃げ出してしまったり。

変化が生まれるからあきらめざるを得ない理由が偶発的に生じたり。

変化しないものはないです。

プログラムぐらいすかね?

進化やら退化やらはするけど変化はないすもんね。

人間の本質も変化はしないもんなんでしょうなぁ。

でも、愛し続けるしあきらめない。

なぜって?

最後にしたい。

好きだから。

そういう現実と半ば乖離した自分の甘っちょろい感覚に酔うことでよろしくない刺激を受けなくないという逃避もあるかもしれない。

逃げ出すことの理由付けの虜になるも逃げ出すというベースの感覚がそもそもにないとハピネスライフが生きられるに違いなし。
医師のたまわく、季節を感じる感覚をまずとり戻しなさい。

と。

はい!
頑張ります!!

てな訳で言われるがまま、お散歩へ。

季節感バリバリ伝説って感じの季節味に遭遇。

木枯らしにいてこまされた犬のうんちとか。

落ち葉を見て天を連想し地に落ちたら地獄よね。

カンダタがいて仏を連想。

雲の糸から深田恭子と柴田恭兵を連想した。

フカキョンとシバキョンは『山岸幸一郎著・ワンダフル・ファミリー』にて。

で、山岸くんから俺に立ち返り連想。

つまる所。

なにを連想しても自分の深層心理を遊泳しているだけで最後に返ってくるいきつく場所は自分の心。

浜田省吾は言った。

君の住む町がマイホームタウン。

君の居る所がマイスイートホーム。

だ、と。

歌でも作ってみるかな。

偶物の季節にすがるより生の季節を感ずることの恐ろしさといったらない。

ハピネス自分
言葉や文字だけで伝えられる気持ちは限られている。

伝えるということは熱というか温もりや振動が重なって初めて伝え合えるものなのかもしれない。

吹きすぎる風ですら温もりを伝えてくれることもある。

気持ちはあの頃のまま…

変わらないでいる。

そう感じさせてくれた風は、今も心のすみかを照らしている。

暖かな日々を
プロフィール
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Team・White/K/Night
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非公開
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Team・White/K/Nightとは!?
愛知県を中心として活動している演劇ユニットです。
現在旗揚げ公演に向けて活動中!!

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